
日々本屋を営んでいると、若者の本離れや、本屋が街からなくなっていくこと、街の文化が失われていくことなど、悲観的な声を耳にすることは少なくない。その度に、なにか街で本屋をやっていることが高貴なことのように位置づけられるのが、あまり居心地のいいものではない。
そもそも本を読んで、なにか知識を得ようだとか、これからの人生のためになるような座右の銘に出会えないだろうかとか、まぁもちろんそんな動機があってもいいのだが、世の中の物事をなんでもかんでも生産性で測ってしまうのは、現代人の悪い癖である。本というのは、もっともっと自由なものだということを知ってほしい。
まずもって本は、映画や音楽、さらにはスマートフォンなどのデバイスから与えられるコンテンツ全般と、そもそもの性質がことなっている。
自ら読みたい本を選び、手に取り、ページをめくって文字を追う。文章を頭のなかで理解しながらイメージを膨らませるという行為は、受け身ではなく、自分からなにかを掴み取りにいく、とても主体的な行為なのだ。それだけに、100人いたら100通りの読み方があり、理解の仕方があり、読後に残る思いがある。
また、読み方も非常にさまざまである。最初から読む人もいれば、あとがきを読んでから頭にもどる人、目次をさらって気になる箇所から読む人。もちろん、小説やエッセイ、実用書など本の種類にもよるのだが、まずは自分の興味が赴くままに、好きな箇所からその本を味わい、文体からなにかを感じ取ることが重要だろう。
そして、なにより本屋を営むものとしては、本屋での本との出会いという点は外せない。
店頭で来てくださるお客様をながめていると、最近は街から本屋が減っていることも関係しているのか、店内を眺めるだけで帰ってしまう方が多く、非常にもったいない!と思ってしまうのだ。もちろん、たまたま寄っただけという方も多いかもしれないが、その偶然のなかで、自分の人生を変えてしまうような本に出会えるのが、本屋のすごいところなのだ。
まずはとにかく、本棚の本の並びやタイトル、装丁に反応して手に取ること。そして適当なページを開いて一節を読む。著者の文体が体にすっと入ってきたら、目次や、本によっては裏表紙に、その本の導入部分や魅力的な要素が簡潔にまとめられているので、その箇所を読んで想像を膨らませる。そこでなにか自分の中から生まれるものがあれば、もうその本は「買い」だ。そう、本好きはそのようにして日々、積読を増やしていくのである。(個人差あり)
また、同じ本でも、読む場所や環境によって、文章をどう理解するかといった自身の身体性が変化するので、おのずと本に対する思いも変わっていく。
本は集中して読むものだと思われがちだが、呑みながら読む夜があってもいい。
おいしいお酒が言葉の輪郭をすこしだけゆるめ、本をいつもより身近なものにしてくれることがある。途中から読んでみたり、最後まで読まずに置いてみたり。アルコールが入った体には、きっといつもとは違った文章が響いてくるのだろう。
自由に、そしてすこし不真面目に、呑みながら読む本のはなしを、これからこのコラムで綴っていこうと思う。



