この連載では、ネパール奥地の話がよく出てくる。なぜそんな話が多いのかと言えば、私が長いことヒマラヤに通っているからだ。
もともとは、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)の踏査がきっかけだった。ヒマラヤ山脈を横断するこのトレイルは、ネパール国内だけでも約1,700キロにおよぶ。
といっても、レクリエーションのために新たに整備された道ではない。その多くは、もともとそこにある生活道。村人が日々の行き来に使っている道を、あとからトレイルと呼んでいるにすぎない。
ヒマラヤと言うと、極限の世界を想像されることも多いが、実際にはのどかな場所も多い。標高3,000メートルを超えたところにも集落があり、人の暮らしがあり、畑がある。だから、食糧計画もシビアではない。観光客向けの宿は少ないが、村は点在している。食べ物はその都度、訪れた村で調達する。
もちろん効率だけを考えれば、日本からアルファ米やフリーズドライを持ち込んだほうがいいに決まっている。軽くて、簡単、燃料も少なくて済む。しかも腹をこわす心配もない。でも、この旅の目的は、ゴールにたどり着くことではない。その過程を味わうことにある。つまり、ネパールを知ることだ。
そうなると、食べるものも自然と現地調達になる。
食というのは、その土地の文化を理解するための、もっとも確かな手段のひとつだと思う。見るだけではなく、体に取り込む。味覚という形で理解する。おいしいに越したことはないが、それ以上に、それが何で、いつ食べるもので、どういう味なのか、を知ることのほうが私にとっては重要である。

東ネパールにある山岳エリアのとある村で、奇妙な飲み物に出会ったのは、そんな歩き旅の途中のことだ。
その日は、小さな集落の家に泊めてもらうことになった。夕食まではまだしばらく時間があった。家のおかみさんに「なにか飲む?」と聞かれたので、「お酒ある?」と返すと、しばらくして妙なものが運ばれてきた。
筒状の木製の容器に、赤っぽい粒状のものがぎっしり詰まっている。そこにストローが一本、突き刺さっている。
トゥンバと呼ぶらしい。
最初はうまく聞き取れなかった。トンパか、トゥンガか、そんなふうに聞こえた。中に入っている赤いつぶつぶは、一瞬、魚卵のようにも見えたが、ここは内陸国だ。そんなはずはない。聞けば、コド(シコクビエ)だという。東ネパールでよく栽培されている穀物だ。
それを発酵させた酒が、トゥンバである。
飲み方も変わっている。このコドが詰まった筒に、お湯を注ぐのだという。言われるがままにお湯を入れてもらい、ストローに口をつける。どんな味なのか、まったく見当がつかない。少しだけ警戒しながら、そっと吸ってみる。
まず、酸味がくる。それから、じんわりとした甘み。最後に、やわらかなアルコールの気配。
ぬる燗のようでもあり、どぶろくやマッコリにも似ている。しかし、どれにも完全には当てはまらない。

うまい、というよりも、なんだこれは! という感覚のほうが先に立った。え? なに? これはいったい......。
そう思いながら飲みつづけていると、ふと、ひとつの感覚が蘇ってきた。
「人生初」の感覚だ。初めて何かを経験したときの、えも言われぬ高揚感。驚き、戸惑い、興奮が入り混じった、あの感じ。
それを経験できたのは10代までだったような気がする。
初めてファミコンに触れたとき。ボタンを押すと画面が反応する、もうそれだけで十分に衝撃だった。初めて自転車に乗れたときもそうだし、初めてラジコンを操作したときもそうだった。
あのときの、世界が少し広がる感じ。
大人になってすっかり忘れていた。いや忘れていたわけではなく失ってしまったのだろう。大人になると、たいていの場合、事前にある程度の予測がついてしまう。年齢を重ねるほどに、真の意味での初体験の甘美を味わうことはなくなっていく。
でも、このトゥンバにはそれがあった。ひさしぶりに、全身で初めてのものに触れ、そしてそれを手にした恍惚感を味わっている。そのこと自体がうれしかった。
無心で啜りつづけ、お湯がなくなると、またお湯を注ぐ。何回繰り返したのだろう。いつまで飲みつづけられるのだろう。嗚呼、なんて気分がいいのだろう。
酔いがまわり焦点が定まらないなか、眼前に広がるコド畑をぼんやり眺める。お酒を飲める体質でよかった。そう思った。父と母に感謝である。
だが翌朝、少し認識が変わる。目を覚まして囲炉裏のほうへ行くと、そこに座っていたおばあさんが、静かにトゥンバを啜っていた。
朝っぱらから酒とはなかなか豪快だな、と思ったのだが、どうも様子が違う。聞いてみると、このあたりではトゥンバは夜の楽しみというより、日常の飲み物に近いらしい。
朝は冷える。食べられるものも限られている。そんな土地では、トゥンバは体を温めるための飲み物であり、同時に栄養を補給するためのものでもあるのだ。
なるほど、と納得した。つまり、これはただの酒ではない。生きるための飲み物である。
昨夜感じたあの人生初の高揚も、単なる珍しさだけではなかったのかもしれない。生活の中で必要とされてきたものに、たまたま私は遅れて出会っただけなのだ。
いま目の前にあるトゥンバは、嗜好品としてのお酒ではない。ただそこにある、あたりまえの一杯なのだ。




