第二章 白い花が咲く蔵の中で

酒造りが始まってから数日。蔵の空気は少しずつ熱を帯び、朝の静けさの中に麹の育つ音が微かに響き始めました。米の香りは日に日に濃くなり、蔵人たちの動きにも初秋の緊張感と期待が宿ります。ひとつひとつの所作に、米への敬意と酒への祈りが込められているようです。

麹室では、温度と湿度が細やかに調整され、麹菌が米の表面に広がっていきます。その様子は、まるで白い花が咲いていくよう。蔵人たちは目を凝らし、手を添えながら、その成長を見守ります。麹は酒の味を決める要。だからこそ、育てるというより「育まれる」感覚に近いのかもしれません。人が自然に寄り添い、米の声に耳を澄ませながら、最良のタイミングを探る。その営みには、技術だけでは語りきれない、感性と経験の積み重ねがあります。

酒母づくりが始まると、蔵の中に新たな命の気配が生まれます。酵母が息づき、米と水がひとつになって、酒への第一歩を踏み出す瞬間。発酵の音は、耳を澄ませなければ聞こえないほど繊細でありながら、確かに蔵の空気を変えていきます。もろみが歌い出す頃には、蔵全体がひとつの生き物のように鼓動を打ち始め、私たちはそのリズムに身を委ねながら、酒の誕生を待ちます。

この蔵で生まれる酒は、久留米の風土と人の営みが織りなす物語です。

耳納連山の風、筑後川の湿り気、そして米を育てた土地の記憶。それらが蔵の中で出会い、発酵という奇跡を経て、ひとつの味わいとなって立ち上がる。その瞬間に立ち会えることは、酒造りに携わる者として、何よりの喜びです。

秋が深まるにつれ、蔵の空気もまた変化していきます。朝の光が柔らかくなり、空気の粒子が酒の香りを含み始める頃、瓶詰めの準備が始まります。酒が形を持ち、手に取れるものとなるその瞬間は、まるで季節の結晶のよう。米の声、水の声、そして蔵人の手の記憶が、一本の酒に宿ります。その酒が誰かの食卓に並び、語らいのひとときを彩ることを思うと、胸が温かくなります。

11月下旬、静けさと豊かさを瓶に込めてご案内するのは搾りたての新酒「ヤマノコトブキ グッドタイムズ ウィンター・セッション」。にごりのまろやかさに、心ほどける余白の時間。イラストとともに、お酒の“いいゾ”を味わっていただければ幸いです。

冬に向けて、酒造りはさらに本格化していきます。寒さが増すほどに、発酵はゆっくりと、しかし力強く進みます。どうぞ、これからも蔵の季節を見守ってください。米の声に耳を澄ませながら、ひとしずくの物語を、皆さまにお届けしてまいります。

片山郁代

創業1818年山の壽酒造八代目蔵元。
趣味は心を整える茶道と体幹を鍛えるトレーニング。
読書好きな夫と食べ盛りの息子2名と囲む賑やかな食卓が、一番の癒し。