ロキシーの向こうに山が見える

ネパールの地酒と、いつかの夕暮れ。

ここは村なのだろうか。ネパールの奥地を歩いていると、ときどき、小さな集落に出くわすことがある。地図には申し訳程度に載ってはいるが、村とも呼びにくい。それが手前の村に属しているのか、奥の村に属しているのかもわからない。家が何軒かまばらに建っているだけで、人の気配もおぼろげだ。ときどき、犬が寝そべっているくらいである。

その日も、そんな場所で足を止めた。家並みのはずれでザックをおろし、風を浴びながらぼんやりしていた。通りかかった女性に、集落の名前をたずねてみる。やりとりをしていると「良かったら、寄っていきませんか」とのこと。あまりにも自然な調子だったので、断る理由も思いつかなかった。

ブラックティーとロキシー、どちらがいいですか?

石を隙間なく積み上げて造った昔ながらの家屋だった。ドアらしいものはなく、開いたままの入口をそのままくぐる。すると、囲炉裏のある土間が広がっていた。いかにも山の暮らしの空間である。腰を下ろすと、「お茶、飲みますか?」と言われた。返事をしようとしたとき「ブラックティーとロキシー、どちらがいいですか?」と重ねて訊かれる。


ロキシーというのは、ネパールの地酒である。
昼間だし、これからまだ何時間も歩くつもりだったが、私は即座に「ロキシーを」と答えていた。というのも、その選択肢を提示された時点で、すでに “釜” を見てしまっていたのである。

囲炉裏の中央に、銀色の大きな釜が鎮座していた。しかも火が入っている。ごくかすかに、沸騰音のような音も聞こえる。これは明らかに、蒸留釜だった。ロキシーを、まさに今つくっている最中だったのである。

私は座ったまま、その釜を凝視していた。釘付けになるとは、きっとこういう状態のことを言うのだろう。ふだん私が出会う蒸留酒というのは、たいてい瓶に入って店に並べられている。しかしここでは、それが「いま作られている」という状態で、目の前に存在していた。火は静かで、部屋には焦げた穀物と薪の煙がまじった、少し甘い匂いが立ちこめている。

聞けば、トウモロコシで作ったロキシーとのことだった。トウモロコシといえば、焼いてよし、茹でてよし、揚げてよし、すってよしの万能選手だが、蒸留して酒になるとは、トウモロコシ界の出世頭である。“少年よ、大志を抱け” と言ったのはクラーク博士だが、“トウモロコシよ、アルコールを目指せ” と言ったのは、たぶんネパール人だ。

これがあれば、もういいじゃないか

ひと口飲んだ。香ばしさがふわっと広がる。軽く焦げた穀物の香りが、鼻を抜ける。どこかビールのモルトを思わせるが、それよりも軽やかで、引っかかりのない香ばしさだった。アルコール度数は15度前後はあるはずだが、角がなく、するりと体に入ってくる。

ただ、トウモロコシと聞いてしまっていたので、どうしても味の中にそれを探してしまう。どうしても因果関係をつくろうとしてしまう。いかんいかんと思って振り払おうと思っても逃れることができない。

まあでも、そうやって飲んでもいいじゃないか。私はあっさり開き直った。べつに酒の専門家でもなければ、テイスティングをしているわけでもない。ただの酒好きがただ楽しく飲みたいだけなのだから。先入観や思い込みは、自己満足にとっては味方なのだ。

根津貴央
根津貴央

もちろん一杯では終わらなかった。二杯目をもらいながら、「これがあれば、もういいじゃないか」と思った。なにに対しての「もういい」なのか、自分でもよくわからなかったけれど、そんな気がしたのだった。

根津貴央

ハイキングが専門分野のライター。
2012年にアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)」を歩き、2014年からは仲間と共にネパールの「グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)」を踏査中。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRA...