「呑みながら読む本のはなし」というタイトルは、なんだか楽しそうだし、とどろき酒店のイメージとも(勝手に)合っていると思っていて、けっこう気に入っている。
ところが、いざ呑みながら読む本を探そうと店内の棚を見渡したら、さぁ大変だ。日頃、本から得られる情報や意味といった成果物、あるいは自分の興味関心への理解を深めるといった“なにか”を読書に求めている僕としては、本が選べない。
店内を何周かしてみても難しい。変に格好をつけようとしてみたり、意味深な本を選ぼうとしてみたり……なんてことだ。書く前から、どう読まれるかなんて考えてしまっている。
随分前にお店で開催したトークイベントで、坂口恭平さんが人の悩みなんてほとんど全てが人からどう見られるかだけなんだって言っていた。それから何度その言葉を思い出しては大きく頷いたことか。
ここはそんなコラムじゃないだろ!呑みながら、のほほんと思った本の感想を書けばいいんだよ!
閉店後の店内でひとり、そんな葛藤を経て選んだ本がこちら、
『はたらかないで、たらふく食べたい 増補版 ——「生の負債」からの解放宣言』栗原康著(筑摩書房)だ。
まず、タイトルがいい。
でも正直に言うと、「はたらかないで、たらふく食べたい」と思ったことは、あまりない。働くのは好きだし、最近はわりと少食になってきている。まぁ、そんなことはどうでもよい。
選んだ決め手は、裏表紙に書かれていた「呪縛から解放される爆笑社会エッセイ。」という一文だった。
そう、せっかく呑みながら読むのだから、楽しい本を読もうじゃないか。
そう思ったのだ。
そして、本のお供はこちら。「加茂錦 荷札酒 黄水仙 しぼりたて」。
夕食後にしっかり時間をとり、グラスに日本酒を注ぎ、ページをめくる。
なんだかそれだけで、もう楽しい。
ざっと本の内容を説明すると、アナキズム研究を専門としている著者の栗原さんが、日々思っていること、考えていることを切り口に、資本主義一辺倒になったこの社会に対して根源的な問いを立て、持論を展開していく、そんな内容である。
たとえば、自身の恋愛の話からはじまり、当時付き合っていた彼女と結婚する流れになり、いわゆる定番とされる結婚情報誌を見て式場見学に行き、婚約指輪を渡し、無事プロポーズは成功する。
ところが、いつまでも定職に就く気配がない著者に対して、「家庭をもつ、子どもをもつということは、社会人として、大人としてちゃんとすることだ」と、彼女はまくしたてる。
自分の人生を生きるということへの価値観があまりに違いすぎる二人は、もちろんうまくいかない。
面白いのはここからで、著者は、女性の解放を訴え活動した 伊藤野枝 の生涯と結婚観を引き合いに出し、純粋な恋愛から「結婚」という社会制度へと移行することで生じる矛盾を、鮮やかにあぶり出していく。
なんだか、お酒を飲んでいることもあってか、著者のアナキズム的な思想が、いつもよりするすると頭に入ってくる。そうだ! 国家の制度に支配されたこんな世の中なんて、クソ喰らえだ!……と、気持ちもなんだか昂ってくる。
他にも、著者は実家暮らしで、親の年金を頼りに生活しているのだが、ある日、国の制度が変わり、親の年金から息子の分が差し引かれるようになった、というエピソードが語られる。
そこから話は年金制度の起源へと遡っていく。さすがはアナキズム研究者。そもそもの問いの立て方が根源的だ。
江戸時代の相互扶助である「講」に行き着いたかと思えば、その「講」を通じて活躍した蘭学者 高野長英が気になり、さらに話を深掘りしていく。
本書では、こうした歴史上の人物がたびたび登場する。
しかもそれが、著者の語りによって非常に親しみやすく、面白い文章で要約されるのだ。
一般的に、何かを成し遂げた「偉人」を説明する文章は、どうしても教科書的で真面目になりがちだ。だが、その文体が、その人自身を表しているとは限らない。むしろ、著者のような、超訳とでも言いたくなる崩した文体のほうが、しっくりくることもあるのだ。
話は脱線を重ね、最終的に「他人の迷惑かえりみず。それが相互扶助の真髄だ。」という一文へとたどり着く。変わり果てた現代の年金制度と、「相互扶助」という言葉とのズレに、疑義を突きつける。
社会のあり方そのものを疑いながらも、親の年金をあてにしながら日々をのほほんと過ごしているようにも見える著者の姿勢が、呑みながら読んでいるこちらの姿と、どこか重なってくる。
現実と、著者が語るアナキズムの考え方。どちらがどちらかわからなくなっていく。
この本は、まさに呑みながら読む本なのかもしれない。
そんなことさえ、思えてくる。
現実の価値観を、アルコールでぬるっと溶かした先にある、
笑って、そして考えさせられるアナキズムの世界。
他のエピソードも、どれも非常に面白く、しかも勉強にもなってしまう。
意味や情報といった成果物から離れるための読書だったはずなのに、結局、自分はその面白さから逃れられないのだ。
他にも紹介したい箇所は山ほどあるのだが、そこは本書を読んでもらうとして、最後に、本書に通底する「生の負債化」について、印象に残った部分を引用したい。
「はたらかざるもの、食うべからず。かせげもしないのに、やりたいことしかやろうとしないのはひとでなしだ、ろくでなしだと、落伍者のレッテルをはられてしまう。わたしたちは、やりたいことをやるのに、はじめから負い目をせおって生きることを強いられている。生の負債化だ。」
「かせいだカネで家族をやしないましょう、よりよい家庭をきずきましょう、家をたてましょう、車をもちましょう、おしゃれな服をきて、ショッピングモールでもどこでもでかけましょうと。これがやばいのは、そうすることが自己実現というか、そのひとの人格や個性を発揮することであるかのようにいわれていることだ。まるで、カネをつかうことが自分のよろこびを表現しているかのようだ。ショッピングをたのしまざるもの、ひとにあらず。
この消費の美徳にあらがうのは容易ではない。」
――――
このような「生の負債化」から解放するための思想が、本書には書かれている。本来は自由なはずの生が、この社会を覆う「当たり前」や「常識」によって、はじめから負い目を背負わされたかのような状態に追い込まれている現状に著者は様々な角度から疑義をとなえてくる。
ちょっと強引かもしれないが、「呑みながら読む」というこの姿勢も、現代社会が抱く「読書」のイメージに、ささやかに抗っているのかもしれない。
……なんて、うまく終われるわけないよね。
だって、酔ってるんだもの。



