第二回 40代からの恋愛小説入門

本は主体的なメディアだとよく形容される。音楽や映画ももちろん素晴らしいけれど、本の場合、自分のペースで立ち止まり、文章を目で追いながらその意味や物語の文脈を、自分の脳内にしかないイメージで像を結んでいかなければならない。そうなると当然、読み手の「経験値」が、対象となる本をどう読むかに大きく作用するわけで、ここが読書の楽しみの一つだと僕は思っている。

その経験値は、読んできた本の量もさることながら、どれだけの実体験があるかということにも強く結びついている。例えば、野球を知っているのと経験したことがあるのとでは、その描写が出てきた際の解像度がまるで違うように。

本が主体的なメディアだという大きな理由の一つは、本を「記録媒体」だとしたら、それを読む人間は「再生装置」になるところだと思っている。
知らない誰かが時間をかけて紡ぎ出した物語を、受け手は自分という装置を通して再生する。もちろん誰もが著者の意図通りに再生できるわけではないし、そうならないところが面白い。お店では読書会を毎月開催しているが、そのなかでも、同じ本からそれぞれに違う光景を再生しているのが分かって、とても興味深く感じている。
どう読むかの正解なんてないけれど、理解の「度合い」はある。たとえ解釈が違っていたとしても、自分なりの装置をフル回転させて深く読む体験は、やっぱり楽しいものだ。

そんなことを考えながら今回選んだのが、この本だ。

『ボクたちはみんな大人になれなかった』/ 燃え殻(新潮社)

本の紹介文にある、「ある朝の満員電車で、昔フラれた大好きだった彼女に、間違えてフェイスブックの『友達申請』を送ってしまった43歳独身のボク」という内容。

43歳独身……。
自分と同じ境遇がまず気になったし、そこにきて恋愛小説ときた。43歳独身の主人公が恋愛に対する思いをどのように綴っているのか? そして、ここにきて長い前置きが効いてくるのだが、この小説を、自分自身がどのように読むのか? 本の中で語られる気持ちのやり取りに対して、どのような反応をして、どのような像を頭のなかに浮かべるのか?
20代の頃には考えることもなく、ただ感じるように恋をしていた自分はもうこんなところまできてしまったのかと。考えることを通してでしか、物事を知る術を知らないような思考に悲しくなりながらも、ページをめくりはじめた。もちろん、ほどよく酔いの回った状態でだ。中年が恋愛小説を読むのだ。アルコールは欠かせない。
今回のお供は近所で買ったキリンの「GOOD ALE」。クラフトビールかのようなホップのフルーティさが美味しくて、普段はこれを飲むことが多い。

物語は、その誤送信した「友達申請」をきっかけに、昔付き合っていた彼女と出会ってから別れるまでの回想が、現在の自分の1日を通して描かれていく。

所々にでてくる、ノストラダムスの大予言やフリッパーズギターやオリーブといった90年代の空気感、携帯がなかった時代の待ち合わせの感覚。それとは対照的に、久しぶりにみた元カノのSNSの中で流れている、まるで現実味のない時間の感覚。現在と過去の記憶がゆるやかに行き来する構成も、どこかSNSを眺めているときの感覚に近く、時間の連続性が少しずつ曖昧になっていく。

自分の過ごした年代とはすこし時差こそあるものの、散りばめられた時代の雰囲気には共感できるものが多く、ノスタルジーの中に存在しているあの頃の甘酸っぱい出来事も、物語の効果にお酒の作用が相まって思い出されていく。
共感がすべてとまでは言わないが、恋愛小説における異性への思いや、すれ違い、噛み合わなさといった、誰でも一度は経験したことのある感覚は、どうしても読みながら自分自身の記憶を呼び起こしていくし、酔った頭には特に、都合よく解釈した自分の過去の感傷に浸る心地よさがある……。

この本が多くの人に読まれているのは、決して過剰に感動的だったりドラマチックだったりするからではないだろう。むしろ、どこにでもあるような「あり得たかもしれない自分自身」を重ねてしまう、そんな身近な情景が、共感を得るのだと思う。

「美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい。」

こんなセリフが出てきたら、当たり前のように自分はどうだろう?と考えてしまうし、物語が後半になり、お互いの環境の変化から気持ちが徐々にすれ違ってくる場面では、あったかもしれない過去を想像している自分がいたりする。
時には、何度も反芻した過去の思い出が、物語の情景と重なることでいっときの輝きを得ることも。なんだかあの時に戻ってしまったかのような淡い高揚感に、お酒もすすむ……。

この作品は映画化されているけれど、そうでもされない限り、本来、本の登場人物は読み手の想像力により具現化されることになる。そして、お酒は自分という再生装置にエフェクトをかけてくれる。感傷深くなるのも、きっと仕方がないのだ。

本は主体的なメディアであること。
本の再生装置は自分自身であること。
その装置を使い込んでいくことが、本を一つの作品たらしめる。
だからこそ、本を読むという行為はものすごく面白いのだ。

この本を10年後に再読したら、どう感じるだろうか。
もしこの先、自分を取り巻く環境が変わったとしたら、なにかこの感覚は変化するのだろうか? それとも変わらずに、また過去の思い出の反芻を続けるのか。
あまりこれまでに向き合ってこなかった読書体験との不意の出会いに、なんだかとても嬉しくなった。

石井勇

MINOU BOOKS店主。2015年9月に耳納連山の麓、故郷のうきは市吉井町にて本屋「MINOU BOOKS」をオープン。「暮らしの本屋」をテーマに、いつもの日常に彩りを加えるような本をセレクトしている。2023年6月には2号店「MINOU BOOKS 久留米」をオープン。イベントの打ち上げで飲むお酒が大好き。