第十章 蔵と蔵人が整う文月

七月中旬の久留米は、日差しも湿度も土地の熱もピークに向かう時期。 その暑さを真正面から受け止めて、稲はさらに背を伸ばし、葉を広げ、夏の力を吸い上げるように育つ姿を見せてくれます。 蔵のまわりの景色も六月の湿り気を含んだ緑から夏の強さを帯びた濃い色へと変わっていきます。

蔵の中では、令和八年度製造蔵補修工事及び改善工事の日程表に次々と「済」の印がついていきます。 造りの最中に気になっていたことを一つ一つ書き出し、順番にクリアにしていくこの季節は、蔵にとって大切な“整える時間”です。

日差しの強い七月は、機械の状態を確かめ、配管の通りを見直し、床や壁のわずかな変化に耳を澄ませる季節。 冬の造りとは違い、蔵の中には静かに向かい合う時間が流れていきます。 この穏やかさは七月ならではの蔵の呼吸です。

その中心にいるのが、この業界の生き字引ともいえる冨安部長です。 冨安部長の口癖である 「何事も安易に考えてはいけない」 という言葉は、七月の蔵でいっそう重みを帯びます。

なぜこの配管をこの導線にしたのか。 電源の取り直しが必要な理由は何か。 溶接の角度や位置は、なぜこの形でなければならないのか。 冨安部長は、どんな小さな作業にも必ず“理由”を求めます。 そしてその理由を、一人ひとりに丁寧に説明していきます。

中には、 「それは自分たちの仕事なのか」 「外部に発注すればいいのではないか」 という声が上がることもあります。

しかし、その声に冨安部長は鋭く、しかし静かに応えます。

「自分たちが使う機械や道具は、できる限り自分たちで直していくべきだ。 造りの最中に壊れて、外部の修理会社が“急だから都合がつきません。3日後だったら行けます“といわれたらどうする。 造りをストップすることはできないんだぞ。 それに、自分たちが使う道具だからこそ、愛でるべきだ。」

その言葉は、蔵の空気を少しだけ引き締めます。 七月のメンテナンスは、単なる整備ではなく、 造り手としての姿勢を学ぶ時間でもあります。

「済」の印が増えていく日程表は、作業の完了ではなく、蔵の未来を整え技術を継承し、 次の造りへ向けた確かな準備が進んでいる証でもあります。

こうして蔵を整えながら迎える七月は、 冬の忙しさとは違う、心と体の呼吸を取り戻す季節でもあります。 蔵人たちもこの時期はしっかりと休みを取り、 次の造りへ向けて自分自身を整えていきます。

皆様も暑い日々が続いておりますが、どうぞご自愛ください。

片山郁代

創業1818年山の壽酒造八代目蔵元。
趣味は心を整える茶道と体幹を鍛えるトレーニング。
読書好きな夫と食べ盛りの息子2名と囲む賑やかな食卓が、一番の癒し。

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