八月の久留米は、夏の熱が最も深く土地に沈み込む季節です。
稲は背を伸ばし、穂をつける準備を進め、蔵の周りの景色は濃い緑の奥にわずかな黄金色の気配を宿し始めます。七月に蔵を整えた蔵人たちは、この八月を「学ぶ月」として迎えます。冬の造りに向けて、自分の武器をつくるための大切な時間です。
その中心にいるのが、冨安部長です。冨安部長は、技術を“作業”として教えることは決してしません。必ず理由を求め、理由を示し、理由を理解させる。八月は、冨安色がもっとも濃く蔵に満ちる月でもあります。
福岡県杜氏組合の夏期講習では、他蔵の取り組みや気候変動への対応、米の傾向など、外の世界から学ぶ機会が与えられます。蔵人は、山の壽の造りを相対化し、自分たちの技術の立ち位置を知ります。冨安部長は講習に向かう蔵人に必ずこう言います。
「講習を聞きに行くんじゃない。自分の武器を拾いに行け。」
講習で得た知識は、蔵に戻り冨安部長の言葉と結びつかせて初めて“自分の技術”として息をし始めます。
鉄工所へ機械を学びに行く日も、八月の重要な学びの一つです。溶接の癖、金属の疲労、部品の寿命。鉄工所の職人が持つ“現場の勘”は、蔵の中では決して得られません。冨安部長は同行しません。しかし蔵人達に、機械の裏側を見に行くチャンスを与えます。
「道具を知らない者は、道具を使えない。造りの最中に壊れたらどうする。理由を知らない者は、理由に負ける。」
その言葉を理解する者、しない者。それがこれから蔵人としての成長に差が生まれます。
さらに八月のある日、冨安部長は蔵人の机に4枚のメモを置きました。そこには「熱膨張の考え方」が書かれていました。水は温度によって膨張係数が大きく変わります。それは日本酒、リキュールになるとさらに深く考えなければいけません。その数字が並ぶメモをめんどくさいと思うのか、面白いと思って学ぶのか。やる気がある者にはとことん付き合い、やる気がないものには付き合わない、それが冨安部長です。
「見えない力を理解しろ。造りは“見えるもの”だけで成り立っているわけじゃない。」
蔵人はそのメモを何度も読み返します。そして理解できないところを尋ねます。点だった知識が経験することにより線になり、線が面になっていく感覚が生まれます。

さらに八月の学びを支えるもう一人の柱がいます。 甲斐部長です。
甲斐部長は、人に厳しく、自分にも厳しい。しかしその厳しさの根には、蔵人を大事にし、山の壽という組織を育てたいという強い想いがあります。本質を見抜き、無駄を嫌い、効率化や仕組化を得意とするその姿勢は、蔵の中に明確な“軸”をつくり出しています。
「成長を楽もう。自分が変わることを恐れるな。」
甲斐部長がよく口にする言葉です。 自分の成長を心から楽しむ人であり、その背中は蔵人にとっ
て大きな刺激になります。冨安部長が技術の理由を深く教える人だとすれば、甲斐部長は人と組織の理由を整える人。二人の哲学が重なることで、蔵人は迷わず学び、迷わず進むことができます。
私にとって冨安部長と甲斐部長は、大事な右腕左腕です。 冨安部長が技術の芯を育て、甲斐部長が人と組織の芯を育てる。 その二つが揃うことで、山の壽の造りは前へ進み、蔵人は自分の武器をつくることができるのです。

八月は、蔵人が外で学び、道具を知り、理由を深め、自分を見つめる月です。七月に整えた蔵と心が、八月の学びによって芯を持ち始めます。その積み重ねが、冬の造りで確かな力となって立ち上がります。
八月の学びが積み重なる頃、蔵ではひとつの季節酒が静かに仕上がりを迎えます。「山の壽 純米 辛口 ひやおろし」。 福岡の飯米「夢つくし」を使い、夏をゆっくりと越えることで角がとれ、落ち着いた旨味とキレのある後口が生まれます。 蔵人が七月に蔵を整え、八月に理由を学び、自分の武器を磨くように、この酒もまた季節を通して静かに力を蓄えていきます。
脂ののった魚やきのこなど、秋の食材と寄り添うと、お互いの旨味を引き立て合います。「山の壽純米 辛口 ひやおろし」が皆様にとってこれから訪れる季節をさらに楽しませてくれる一本となるのが楽しみです。




