第六章 旅立ちと始まりの季節に

三月は卒業式、四月は入学式。
山の壽でも、この節目が静かに巡ってきます。

入学式とは、お酒が上槽され清酒として生まれてくる日。
醪を毎日味わいながら「この子はどんな表情を魅せるのだろう」と想像する時間は我が家
の息子達と喜怒哀楽を交わしている日々とどこか重なります。
まだ言葉を持たない小さな命の声をきくように、醪の息づかいに耳を澄ませ、香りや温度
の変化に寄り添う。
その積み重ねの先に、ようやく迎える入学式は何度経験しても緊張と期待が混ざり合う瞬
間です。

卒業式は、蔵を離れお客様のもとへ旅立つ日。
瓶を手に取り、「お客様と楽しい時間を過ごしてね」と送り出す。旅立つ後ろ姿はいつも
眩しく見えます。
そして、地元福岡や遠く離れた土地で笑顔とともに楽しんでいただいている様子を見るた
びに「この子は、この場所でこんなふうに笑っているのか」と心が満たされます。
その瞬間こそが私にとってのご褒美であり、次の一歩を踏み出す力になります。

酒造りの現場ではこの季節、同じ作業を淡々と繰り返す日々が続きます。
米を洗い、蒸し、麹を育て、醪に向き合う。
一見すると変わらない営みの連続です。けれど、その“繰り返し”の中にこそ、山の壽の酒
造りの本質があります。

安岡正篤の言葉に「知識を見識に高め、見識を胆識にまで高める」という一節があります。

毎日同じように見える作業も、知識として身につけるだけでは酒は応えてくれません。経
験を重ね、見識として深め、さらにその先の“胆識”へと紡いでいき、迷いなく判断できる
胆力と感性へと昇華させていく。その道のりは山の壽が目指す酒造りそのものです。
同じ作業の繰り返しの中で、昨日とは違う米の声に気づき、わずかな温度の揺らぎに耳を
澄ませ、麹の香りの変化に心が動く。
その積み重ねが、酒の個性を形づくり、やがて旅立つ一杯に山の壽らしい“Good times”を
宿していくのだと思います。

そして旅立ったお酒がどこかのだれかの時間を照らすとき、
「Good times with Yamanokotobuki」という願いはそっと形になります。
春は、その循環を静かに祝福してくれる季節です。

山の壽酒造

分かり易く・飲みやすく・フレッシュなガス感を感じてもらえる生酒の製法の開発など、毎年新しい試みを積極的に行っているエネルギー溢れる福岡 久留米の酒蔵です。

片山郁代

創業1818年山の壽酒造八代目蔵元。
趣味は心を整える茶道と体幹を鍛えるトレーニング。
読書好きな夫と食べ盛りの息子2名と囲む賑やかな食卓が、一番の癒し。

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